物語の〈恋愛場〉について

源氏物語では、男女が二人で相対する場面になると、それまでの「大将」とか「大臣(おとど)」とか「宮」とかの呼び名が消え、ただの「男」・「女」と呼ばれます。

それが〈恋愛場〉のしるしでもある。

この二人は、いま恋愛の場面にいるのだ、と「男」・「女」の呼称から判別できるわけです(〈恋愛場〉のしるしとしては、外に贈答歌のやりとりがあります)。

これは、何も源氏の創意という訳でもなく、伊勢物語のような歌物語の慣習や、屏風歌の詠みようなどが影響していて、他の物語にも見えることです。ただし、恋愛の場面で社会的な役割や地位と深く関わる呼称が消えるのは、案外と深いものがあると感じたりもします。

恋愛と言えども、というかむしろ恋愛というものは、「それ以外」の要素の錯綜し積み重なった場。その「場」でただの「男」や「女」になれるものでしょうか。だからこそ、物語の〈恋愛場〉にそれが必要になるのでは、読者に対しての効果は、など面白い問題が見える気がします。

タイトルとURLをコピーしました