師匠の最終講義の思い出

私の指導教授の最終講義がありました。
学内・学外の先生たち、ずっと以前の教え子、今のゼミ生、たくさんの人が集いました。

講義が始まってすぐの時あろうことが涙腺がゆるんで…しかしその時は内容に引き込まれて泣かずに済みました。
(この前から気持ちが高ぶっているせいかすぐ泣いてしまう傾向が…ふだんだったら泣かずに我慢できることが我慢できにくいのです)

しかし講義後のパーティー会場でいろいろの教授たちの話を聞いている、先生の姿をずっと見ていて、先生の話が始まったらもう無理。そんな場面じゃないし泣いている人など他に誰一人いないのに。かなり泣いてしまいました。

そして先生のお話の内容は、私の近頃の迷いを塵の如く、吹き飛ばすものでした。私が何故、この人についていこうと思ったのか(それはもうずっと前の選択な訳ですが)、今はっきり分かった気がしました。先生の透徹した学問と倫理、その妥協のなさに由来するフィギュールの美しさ故なのです。その生そのものを貫いた、学と倫理の強度に、改めて身の震える思いでした。

そんな人に出会えるのは幸運と言うべきことで、そしてその人から直接教えを受けられることはさらなる僥倖と言うことになるでしょう。私は不出来で、ある年次から真面目に学校にも行かなくなり、期待して頂いていたであろう分さえ応えられず落胆ばかりさせたに違いない悪い弟子でした。しかしこれからは・これを期に、いつか斉藤はあの血を受け継いだ学者だと評されるような、フィギュールを持つのだと、固く決意しました。

私の指導教授は三谷邦明という学者です。これは以前やっていたサイトに、2006年1月27日に書いたものです。若いときに書いたものですが、転載してみました。この後、まもなくあまりにもあっという間に旅立ち、あれから幾星霜…。このときこんな決意を持ったというのに、何てまだまだなのか自分でも驚きます。

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