桐壺巻のあらすじ

源氏物語

どの帝の御治世であったか、さほど身分の高くないキサキが帝の寵愛を集めていた。キサキの身分は「更衣」である。父は大納言であったが、既に亡くなっており、その遺言によって宮中へ入ったのだった。取り立てての後見もなく、心細い宮仕えであった。他のキサキたち(女御や更衣)の妬み・憎しみは募っていく。 【ここから続き】この帝からの寵愛を集めた更衣を桐壺更衣と言う。更衣の心労は積もり、病がちの身となっていったが、寵愛はますます厚くなり、玉のように美しい皇子が誕生する。この皇子がのちの光源氏である。帝の桐壺更衣とその子への愛情の傾けぶりに、右大臣の娘で誰よりも前に入内した弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は、この第二の皇子が我が子の第一の皇子を差し置いて立坊する(皇太子になる)のではと危ぶみさえした。皇子三歳の袴着の儀式も、第一皇子の時に劣らぬ盛大なものとなったが、それにつけても世の人の批判が多かった。その年の夏、桐壺更衣は周りからの迫害に耐えかね、あっけなくこの世を去った。更衣の葬送は愛宕にて行われ、その際に一刻み上の位、三位が送られた。帝の嘆きは深く、ひたすら更衣追慕の日々を送るよりなかった。

更衣の里邸への使いとして送った靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)は、娘を喪って悲しみに沈む更衣の母としみじみと会話を交わし、更衣の形見の品を帝に持ち帰る。それを見るにつけても、帝の悲嘆は深まるのだった。母の喪に服するため、宮中を退き、更衣の里邸で過ごしていた若宮(光源氏)が宮中へと戻る。その美しさ、学問や音楽に発揮される輝くばかりの才能は人々の目を見張らせる。父帝はこの若宮を東宮(皇太子)にと心中には強く願ったが、高麗人(こまうど)の観相ほかの結果を踏まえ、帝は若宮を臣籍とし、源氏の姓を賜った。高麗人の観相は、帝位につく相ではあるがそうすると世が乱れる、かといって臣下として見るとそれも違う、という不思議なものであった。

その頃、亡くなった桐壺更衣によく似ているという藤壺の宮が入内した。更衣を喪ってから悲しみに沈んでいた帝もようやく慰められ、源氏も亡き母に似ていると聞き、その面影を慕って藤壺の宮に睦ぶようになっていく。一二歳となった源氏は元服(成人式)の際に左大臣家一人娘、葵の上と結婚した。内親王を母に持つこの娘には東宮への入内を望まれていたが、左大臣は源氏に家と娘の将来を賭けたのであった。しかし源氏はこの妻に親しむことができなかった。源氏の思いは藤壺の宮へといつしか強く寄せられていたのである。故桐壺更衣の里邸は手を入れられ、立派なものとなった。源氏はそこを私邸(二条院)とした。そこに藤壺の宮のような理想の女性とともに暮らしたいと願うようになっていた。

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